佐賀城下の「戸籍簿」〜竈帳〜

東日本大震災による被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。

 こんにちは。

 以前、元文5年(1740)に作成された「元文屋敷帳」について紹介しましたが、今日は嘉永7年(1854)に作成された「竈帳(かまどちょう)」について紹介します。

・「元文屋敷帳」については:http://sagakentosyo.sagafan.jp/e390705.html
・ブログは:http://sagakentosyo.sagafan.jp/e390705.html

 幕末佐賀城下の庶民(下級武士や町人)の「戸籍簿」ともいえるこの「竈帳」は、佐賀県立図書館に寄託されている鍋島家文庫の中に残されている31冊の史料を総称するもので、それぞれ「○○町竈帳」のように町名が冠されています。佐嘉城下町の町数は45町であったと考えられていますので、元々は31冊以上の「竈帳」があったのでしょう。
 佐嘉城下の庶民の数は14,700人位と推計されています。

 「竈帳」は、佐嘉城下の歴史を語る「語り部」のように多くのことを語ってくれます。  
 それも編者の三好不二雄先生と奥様の三好嘉子さんの詳細な解説で、これでもかというほど佐賀城下のことを教えられます。


 活字化されたものは『佐嘉城下町竈帳』(請求番号219.2/Sa15 三好不二雄、三好嘉子編 九州大学出版会 1990年刊)で読むことができます。
  
 さて、この「竈帳」は、各竈(世帯)ごとに屋敷の位置、間口、奥行、竈主、家族、職業、帰依寺、身分、年齢、続柄が明記されています。
 例えば、長瀬町の蝋燭(ろうそく)屋西山和兵衛の世帯は以下のように記載されています。(原文縦書き。長崎街道に面して店と住居を構えていた。)

一 表口四間八寸 裏四間弐尺五寸 入拾八間九尺五寸
     佐々木卯右衛門殿組足軽
   蝋燭屋 弐拾八才 西山和兵衛
       弐拾六才 同 女房
        拾弐才 同子伊三郎
        五 才 同子嘉一郎
   右 同 弐拾弐才 同弟佐七
       五拾八才 同 母親
           〆男女六人
一 禅宗 嘉瀬元町瑞光寺

 西山家の例でも分かるように、「竈帳」では男性には全て名前がありますが、女性で名前が記載されているのは、娘、姉、妹、姪、伯母で、妻は「女房」とされ、母親、祖母、後家も「名なし」です。西山家は、足軽という下級武士ではありますが、蝋燭屋を営んでいます。  この蝋燭屋は、佐嘉城下に25軒あり、そのうち6軒が長瀬町にありました。

 「竈帳」に記載された竈主は殆どが明治まで、子供だった方も昭和戦前期までご存命であったようです。大正生まれの方は、ほとんどが「竈帳」に出てく子供達の孫の世代に相当します。このため、「竈帳」に記載されている方の話を直接聞くこともまだ可能です。
 そういう意味では、佐嘉城下の「幕末」は活字で書き残された「歴史」ではなく、いまでも身近に生きているといえるかもしれません。


*「元文屋敷帳」に関する講演会を以下のように開催します。これまで知られていなかった佐賀の城下町についての興味深いお話が聞けると思います。

・日時:平成23年9月17日(土)13:30〜15:00(受付13:00〜)
・場所:佐賀県立図書館 会議室
・講師:片倉日龍雄(かたくら ひるお)さん(『佐賀県近世史料』執筆委員)
・演題:「元文屋敷帳の謎を解く」
*受講料、事前の申し込みは不要。駐車場は、県庁来訪者用駐車場のご利用をお願いします。