佐賀城下の土地台帳が出版されました

 東日本大震災による被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。 こんにちは。

 今から270年程前、佐賀城下約1,000軒の武家屋敷の土地台帳が(財)鍋島報效会により活字化され出版されました。
 しかも、この土地台帳は元文5年(1740)の御城下絵図とセットになっていますので「何処に」「誰が」が住んでいたのかを対照することができます
 佐賀城下、現在の佐賀市街地は藩政期の地割りが比較的よく残っていますので、土地台帳に記載されている武士が現在のどのあたりに住んでいたのかも確認できます。
 もし、270年前のご先祖が、どちらかというと上級〜中級藩士で、しかも名前も判っているとすればその住んでいた場所を特定することができます。
 この土地台帳の正式な名称は『城下大曲輪内屋敷帳』(じょうかおおくるわないやしきちょう 以下、「屋敷帳」 請求番号:鍋832-2)ですが、作成されたのが元文5年(1740)だったこともあり、「元文屋敷帳」と呼ばれることもあります。当時の佐賀藩主は六代宗教でした。
 屋敷帳には、小路(くーじ)毎に住んでいる人物、敷地の広さ、隣接する道路や水路の幅が詳しく記載されています。

・『城下大曲輪内屋敷帳』の詳しい説明は:
http://www.nabeshima.or.jp/site_files/file/sample_yashiki.pdf

 例えば、八幡小路南側の西端に藪内宗也の屋敷(屋敷帳p39 現在の護国神社の東に当たる)があります。藪内宗也は、鍋島家の茶頭(さどう)を勤めていたと思われる人物です。 
 代々宗也を名乗り、安政年間の佐賀藩職員録『早引』に掲載されている宗也は石高110石(切米)とされています。
 敷地について次のように記載されています。 

一 北口弐拾三間六尺
一 南裏弐拾弐間九尺五寸
一 東入拾九間
一 西入拾八間七尺五寸

 つまり、東西(間口)41m×南北(奥行)34m程度、約422坪の屋敷地であることがわかります。
 現在、この敷地は数軒の民家に分割されています。

・藪内流(やぶのうちりゅう)については:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%AA%E5%86%85%E6%B5%81

 同様の屋敷帳は、引き続き明和8年(1771)にも作られています。この明和の屋敷帳には住人が替わる毎に書き加えられ、明治初期まで土地台帳として使われていたようです。
 今後、明和の屋敷帳も活字化される予定と聞いていますので、佐賀城下に関する研究が一段と進展しそうです。

・屋敷帳は、県立図書館にも所蔵していますが、購入については:
http://www.nabeshima.or.jp/main/432.html