凌風丸の生涯 Ⅰ

 県立図書館では、「九州・山口近代化産業遺産群」の一つとして世界遺産入りを目指す三重津海軍所跡の発掘調査を歴史的文献で裏付けるため、古文書からの読み取り調査を行っています。

 今回はその調査から、幕末佐賀藩建造の実用蒸気船凌風丸のことについてお話します。
 近代化産業遺産群の一つとして佐賀県世界遺産候補地にあがっている三重津海軍所跡(佐賀市)は、幕末佐賀藩で、実用蒸気船の凌風丸が製作されたところです。これは、佐賀藩から文久3年(1863)春に、精煉方の田中近江父子・福谷啓吉などへ小蒸気船製造が命ぜられたことが始まりでした。(『鍋島直正公伝』5編p.509)

 慶応元年(1865)春、三重津でこの小蒸気船が完成、凌風丸と名づけられ、直正の側近であった古川松根の字を船に刻みました。(同上)これは船体部分が完成したところだったのでしょう、実際はさらに作業が続き、7月に帆柱の材木などを佐賀城下南郊の八田御土居の杉から取ることで許可が下りています。(『請御意下』鍋島文庫309-35)杉の大きさは一番大きいものが、幹周り2尺8寸(直径にして約27㎝)ですので、帆柱には、これを使ったと考えられます。

 勝海舟の『海軍歴史23』(『勝海舟全集』13)は凌風丸の完成を慶応元年(1865)10月と記載していますので、進水はこのころだったと思われます。この製作のための係は小蒸気船製造方と呼ばれました。
風丸の製作にはいろいろな人の努力があったと思われますが、慶応2(1866)年3月23日荒木丈右衛門という人が、凌風丸製作について頑張ったので、御酒を頂戴する褒賞を受けています。この人物の詳しいことは分かりませんが、『文久2年請御意下』(鍋島文庫309-28)には電流丸乗組員として名前が見える人です。(Ⅱへ続く)

三重津海軍所跡での現地報告会風景

三重津海軍所跡での現地報告会風景(2011.1.22)

≪お知らせ≫
 県立美術館ではテーマ展「幕末佐賀の近代化産業遺産」を2月13日まで開催しています。三重津海軍所の関係資料や海軍所跡出土遺物を展示しています。今回登場した荒木丈右衛門のほかに、数多くの無名の人々が働き、お殿様からご褒美をいただきました。展示ではそのような人々の名前が記された『褒賞録』や、今回ご紹介した『請御意下』も展示しています。この二点は県立図書館の寄託資料(鍋島文庫)でもあります。ぜひご覧ください!


県立美術館テーマ展「幕末佐賀の近代化産業遺産」
http://www.pref.saga.lg.jp/web/kankou/kb-bunka/kb-hakubutu/museum/hakubi-tenrankai.html#bakumatsu

こちらも必見!!→佐賀県HP「九州・山口の近代化産業遺産群
http://www.pref.saga.lg.jp/web/kankou/kb-bunka/sekai-isan.html