南関東を襲った「元禄の大地震」

東日本大震災による被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。

 先月のブログに、江戸時代中期、太平洋東南海沖で起こった「宝永の大地震」と富士山の噴火について書きましたが、今回はその4年前に起こった「元禄の大地震」についてご紹介したいと思います。
【先月のブログ】
http://sagakentosyo.sagafan.jp/e371775.html



 元禄16年12月14日、国元佐賀では、前年に起こった赤穂浪士の討ち入り「元禄忠臣蔵」の話に花が咲いていた、まさにその日のことでした。
 早飛脚によって江戸藩邸から急な知らせが入りました。11月22日の夜八つ過ぎ(午前2時頃)、江戸を含む南関東一帯で巨大地震が発生したというのです。

 その知らせをもとに概略紹介しますと、
 江戸市中の町屋はもちろん諸大名の屋敷までもが倒れ、多くの死傷者が出た。水戸家の門前にある町屋は200間ばかりが倒れ、液状化現象による泥水も湧き出たとのこと。神社・仏閣は、浅草観音五重塔の九輪が折れ地面に落ちた。〔※安政2年(1855)の大地震によって、この九輪が曲がった話は「瓦版」等で有名ですが、元禄の大地震による被害はあまり知られていません。〕
 江戸城にも大きな被害が出た。大手・桜田の御門は大きく傾き、鉄で巻いた御門の柱は裂け、20間もある棟木は真っ二つに折れた。江戸城の堀の水は往還(道路)にまで溢れ、御門という御門は無残な姿になった。
 佐賀藩上屋敷である桜田屋敷では、玄関前の切り石の合わせ目がカタカタと互いに打ち合い、火花が出るほどであった。
 中でも小田原城およびその城下は甚大な被害を受けた。本丸、二の丸、三の丸の各郭、および石垣は悉く崩れ、城主自身も空地に幕を張りめぐらし野陣を敷いた。

 江戸市中の大火災については、さらに詳細な説明がなされています。特に小石川の水戸屋敷から出火した火災については有名で、神田明神湯島聖堂が焼失し、両国橋が焼け落ちたとのことです。
 この「元禄の大地震」によって起こった大火災のこと、そしてこの大震災によって、3万人余りの死者が出たことなどについては、長くなりそうですので次回ご紹介いたします。

 この記事は、小城藩3代藩主鍋島元武の事績を記述した「元武公御年譜」より引用しました。これは佐賀県近世史料』二編二巻に収載されており、佐賀県立図書館にて頒布しています。


佐賀県近世史料

佐賀県近世史料についてはこちら】
http://www.pref.saga.lg.jp/kentosyo/kinsei/kinseitop.html

佐賀県近世史料二編二巻についてはこちら】
http://www.pref.saga.lg.jp/web/kurashi/_1018/ik-tosyokan/kinseishiryou.html