古文書講座(中級編)を開催しています(その2)

 こんにちは。

 11月6日(土)、古文書講座(中級編)第2回を行いました。
 今回は、武藤信邦の自伝「信邦一代大略記」(袋武藤家資料)の嘉永7年(1854)5月から文久元年(1861)、信邦31歳から38歳までの記録です。

 嘉永7年(1854 11/27安政改元)だけでもペリー再来、日米和親条約調印、プチャーチン再来。安政5年(1858)には、日米通商条約調印、安政6年(1859)には、神奈川、函館、長崎を開港すると共に「安政の大獄」、安政7年(1860 3/18万延改元)には、桜田門外の変が起こります。この時期の日本はまさに「幕末」の激動期に突入していましたし、佐賀藩も同様であったはずです。

 しかし、信邦の記録を読むと、養母の病死や信邦の役職が変わることを除けば、武藤家は以下のように平穏であったようです。

 ・郡目付を仰せつけられたこと。
 ・郡目付として、彼杵・高来、小城、杵島・松浦・藤津、三根・養父・神埼などの担当を仰せつられたこと。
 ・自宅の修理を2回行い、計64両の出費であったこと。(当時の米の価格で換算すると現在の320万円程度の出費となるのでしょうか)
 ・養母の77歳の祝賀を催すも、その年病死したこと。

 仕事に関わることだったのか、万延元年(1860)、洪水により御境川筑後川)千栗堤防が決壊し大きな被害がでたことは記録していますが、安政6年(1859)10月の佐賀城本丸炎上については書き残していません。

 次回は、信邦の身辺も少し騒がしくなります。

 古文書講座(中級編)は、伊藤先生による当時の政治状況や社会情勢についての解説、古文書の読みについての丁寧な説明によって解読が進められています。古文書の解読だけではなく、幕末・維新期の歴史に関心がある方にも興味深いお話しが聞けると思います。

 なお、袋武藤家資料については、資料を所蔵しておられるご子孫の方のご配慮で、複製本を県立図書館郷土資料室にも排架しておりますのでご利用いただけます。

*テキスト:「信邦一代大略記」(袋武藤家資料)
 袋武藤家資料は、佐賀藩の手明鑓(てあきやり)というどちらかといえば下級武士であった武藤信邦とその息子勝一郎に関わる幕末から明治にかけての資料です。その中でも「信邦一代大略記」は、信邦が書き残した自伝であり、社会情勢、仕事、家族のことについて事細かに記録しています。
*武藤信邦(文政7年[1824]〜明治33年[1900])
  助之允 石高:切7石 大組:鍋島志摩(倉町鍋島家:家老) 手明鑓組:中野忠太夫 役職:郡目付 住所:袋村
 (「幕末佐賀藩の手明鑓名簿及び大組編制」佐賀大学文化教育学部研究論文集 第14集第2号 2010 による)

講座の様子

(写真)講座の様子