石橋家資料整理の中間報告会を行いました

 こんにちは。

 佐賀県立図書館では、これまでに調査・収集してきた歴史資料の整理を継続しています。 
 現在、整理作業を進めている石橋家資料(寄託資料)に関して、整理に携わっている担当者の共通理解と今後の整理の課題を確認するために整理状況の中間報告会を行いました。

 石橋家資料の整理は、「産学官」連携による佐賀大学地域学歴史文化研究センターと連携を図りながらサポーターの方のご協力を得て行っています。

 佐賀県西部、白石町の旧家に伝来した石橋家資料には、江戸時代の寛文(1661-1673)頃から戦前まで、約280年間にわたる数千点の資料が含まれていました。これまで資料を大切に守り続けて来られたご当主をはじめ、関係の皆様にまず労いの言葉を述べたいと思います。

 石橋家資料は、佐賀藩海軍伝習所と有田皿山窯業に関する資料として、一部の研究者の間では知られた存在でしたが、資料全体を統一的な基準で調査されることはなく、その全体像は不明でした。ここでは、これまでの整理及び調査から判明したことについて簡単に紹介します。
 資料は、内容から以下のようなグループに分類できます。
・幕末期の当主であった石橋三右衛門が残した佐賀藩海軍伝習所と有田皿山窯業の記録資料
・第1次長州出兵関係資料
・江戸の桜田・溜池屋敷御門番関係資料
・医学・本草学(刊本)関係資料
漢籍(刊本)
・その他、明治から昭和にかけて石橋家が関わった行政資料及び家政資料

 整理が進めば、さらに新しい発見があるかもしれません。

 これらの資料の公開は、数年先となりそうです。しばらくお待ち下さい。

 なお、幕末期の当主であった(二代目)三右衛門は、文化5年(1808)に生まれ、長崎御番所詰(嘉永元年(1848))、手明鑓組頭(文久2年(1862))、第1次長州出兵 (元治元年(1864)、有田皿山代官(慶応2-4年(1866-1868))を勤め、明治になり佐賀城下松原小路から現在の白石町へ移住し、明治12年(1879)72歳で亡くなっています。後半生は、まさに激動の時代を優秀な官僚として佐賀藩を支えています。


中間報告の様子
(写真)中間報告会の様子