往来物の調査を行いました

こんにちは。

佐賀県立図書館では、郷土の歴史を解明するうえでかけがえのない古文書等の歴史資料調査を行っていますが、先日、佐賀市北部、旧富士町内の旧家に保管されてきた2点の往来物を調査させていただく機会がありました。これまで資料を大切に保管されてきたご家族の方々に深く感謝するとともに、調査の仲介の労をとっていただきました関係者の方々にお礼を申し上げます。

往来物(おうらいもの)と総称されるものは、平安時代からありますが、江戸時代には寺子屋で広く使用され、日常生活の中で庶民に必要な知識や礼儀作法を身につける教科書として使われていました。その内容は、書簡の形をとるもの、歴史物語の形をとるものなど多様です。
調査させていただいた往来物は、元禄時代(1688〜1704)以前の可能性もあるもので、江戸中期を下ることはないものだと考えらます。以下、簡単に紹介します。

墨で書かれたものは『庭訓往来(ていきんおうらい)』(写真右側)、木版刷りのものは『古状揃(こじょうぞろえ)』(写真左)です。いずれも、最も普及していた往来物です。

・庭訓往来(ていきんおうらい) 上
上・下巻の上巻のみで、一部が欠けています。大きさは、タテ29.8cm×ヨコ21.2cmで、表紙(表、裏)+18丁(18枚)です。行書体で書かれています。庭訓往来は、代表的な往来物で、往復書簡の形式で書かれています。

・古状揃(こじょうぞろえ)
一部が破れてしまっていますが、ほぼ全容がわかりました。大きさは、タテ25.6cm×ヨコ18.0cmで、40丁(40枚)です。木板刷りで、西村屋傳兵衛板です。西村屋傳兵衛板は、江戸時代前期のものとされています。内容は、今川状、手習状、含状(義経含状)、弁慶状、熊谷状、大坂状、腰越状の順になっています。泰医堂の印判が押されています。

『庭訓往来』も『古状揃』も全国に残っていますが、今回調査した資料は成立年代が古いようです。さらに、調べればさらに新しいことが分かるかもしれません。
また、この往来物が確認されたことにより、富士町を含む地域の教育の歴史や内容を知る手がかりが得られ、興味深いものになりました。
今後とも、地域の歴史遺産として大切に保存し、未来へ引き継いでいって欲しいと思います。

・往来物:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%80%E6%9D%A5%E7%89%A9

・庭訓往来(ていきんおうらい)
中世から明治初年に至るまで最も普及した往来物の一つ。一カ月往返二通ずつ一年二四通、これに単簡一通(七月状または八月状)を加えた計二五通の手紙文より構成される。
内容は、武家および上層・庶民の社会生活を中核として新年の会、詩歌の会、地方大名の館造り、領国の繁栄、大名・高家の饗応、司法制度・訴訟手続、将軍家の威容、寺院における大法会、大斎の行事、病気の治療法、地方行政の制度等を主題とする手紙で、各手紙とも類別単語集団を収める(衣食住三七〇語、職分職業二一七語、仏教一七九語、武具七五語、教養四六語、文学一六語、雑六一語、計九六四語)。
(『往来物解題辞典』大空社 平成13年3月刊)

・古状揃(こじょうぞろえ)
近世の初頭、中世以来、「寺」における手習い教科書として用いられてきた『今川状』を中心に、『腰越状』『含状(義経含状)』『弁慶状』『直実送状』『経盛返状』(以上二状を合わせて『熊谷状』とも)『曽我状』『大坂状』などの古状・擬古状や、『初登山手習教訓書(手習状)』『風月往来』などを組み合わせて出版した往来物。
近世期を通じて最も流布した往来物の一つ。
   (『往来物解題辞典』大空社 平成13年3月刊)


今回調査の往来物
(写真)右側:庭訓往来、左側:古状揃(画像の無断転載を禁止します)