『私の祖父 古賀廉造の生涯』が出版されました その1

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 佐賀出身の古賀廉造(1858〜1942)についての業績と人物像を描いた『私の祖父 古賀廉造の生涯』(奥津成子著 慧文社)が出版されました。

『私の祖父 古賀廉造の生涯』の表紙

 『私の祖父 古賀廉造の生涯』の表紙

 古賀廉造の実孫である著者奥津成子さんは、廉造が17歳まで過ごした佐賀での手がかりを得るために何度となく県立図書館や現地で丹念に調査を行われました。その結果は、以下の第一章に十分に生かされています。

第一章 生い立ち
出自と両親
古賀家の来歴と父・源吾
母チカと石田家
 幼少期
  松永家との関係
  古川家と乳兄弟武一
 佐賀の乱
 上京、法学校入学

 詳細は本文を読んでいただきたいと思いますが、母チカの実家は「葉隠」の口述者である山本常朝の師石田一鼎の実弟の直系にあたること、松永家との関係、明治7年(1874)の佐賀戦争における状況などを探し出した資料と古賀家の言い伝えを交えながら生き生きと描写されています。

 明治7年(1874)9月、古賀廉造は友人鶴丈一郎とともに上京。明治17年(1884)に司法省法学校を卒業し、大審院判事を辞する明治38年(1905)まで21年間を法曹界で過ごしますが、ドイツ・フランス留学、刑法改正審査委員としての活動、検事・判事としての活躍、『仏国民法正解』の翻訳や刑法に関する著作物、廉造の法思想などこれまで知られていなかったことについて手際よくまとめられています。
 政界に入り、法学校で同期であった原敬の腹心として、法律と政治の世界で活躍するまでの廉造の歩みが簡潔にまとめられています。

 廉造が政界に入ってからのことについては次回紹介しますが、「辛亥革命」を起こした孫文、その孫文と関わった頭山満、宮崎㴞天、梅屋庄吉らと親交が厚かったようです。

 なお、佐賀県立図書館には廉造の蔵書のうち漢籍や和本を中心に64件、約690冊が没翌年の昭和18年に県立図書館に寄贈されています。この寄贈について「肥前史談」第15巻1号 昭和18年2月)では以下のように紹介されています。

図書館に古賀文庫 

 本会名誉会員法学博士古賀廉造氏は昨年10月11日85歳の高齢で逝去されたが、令息邦夫氏(帝大工学部綜合試験場勤務)は青木徳一郎氏の斡旋に依り田中知事の意向をただした上故博士愛読の書籍六十四種六百九十五冊を県立佐賀図書館に寄贈することとし過般全部同館に送り届けられた。田中知事は深くその厚意を謝し大木館長と協議の末「古賀文庫」として長く備附することとした。全冊「古賀廉造遺愛之書」の捺印があり、同館蔵書中異彩を放っている。(原文は縦書き。一部当用漢字等に訂正しています。)

古賀廉造遺愛之書印

 古賀廉造遺愛之書印