伊能忠敬の測量(番外編)

東日本大震災による被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます

 こんにちは。

 来年は、伊能忠敬(いのう ただたか)による肥前東部域(現在の佐賀県域)測量200年に当たります。

 伊能忠敬の測量隊が測量したルートを実際に歩いてみたいと思い、佐賀県内の街道を歩いておられる「塚崎・唐津往還を歩く会」(事務局:馬場良平さん)の例会に参加させていただきました。

・日 時:平成23年9月11日(日)9:40〜16:10
・ルート:(JR牛津駅牛津宿〜小城〜駄市川原(大和ジャスコ
 *文化10年(1813)9月25〜26日、伊能本隊・永井隊測量ルート
・距 離:16Km(4里)

 9月18日(日)開催の龍道真一さんの講演会の案内プリントを配布させていただきましたが、「塚崎・唐津往還を歩く会」から十数名の方々が講演会に参加されました。
 ありがとうございました。

 今年度第1回目(通算第84回目)の例会で、来年5月まで、伊能忠敬の測量ルートに限定した例会を予定されているとのことです。

 天気は晴、最高気温は33.9℃と残暑が厳しい1日でした。
 40人近い参加者があり、9:40にJR牛津駅を出発。牛津赤れんが館と牛津会館を見ながら「牛津宿」まで歩き、牛津宿の説明を聞きます。 牛津宿の中心地、牛津本町は西町、立町、東町、新宿で構成され、立町には本陣が置かれ最も賑やかだったようです。

牛津宿立町(小城市牛津町)

 牛津宿立町(小城市牛津町:写真の奥(南)に牛津高校が見えます)

 牛津宿から小城までは水田に囲まれた道を歩きます。旧道は現在の道路に埋もれたり、集落の中を通っていたり、田圃の中の農道として残っています。

土生〜小城(小城市三日月町)

 土生〜小城(小城市三日月町:左手にあった旧道は圃場整備で消失)

 伊能の一行は、文化10年(1813)9月25日、小城鯖岡の麹屋定蔵と質屋吉兵衛を宿所とします。現在の小城町の中心は、小城鍋島家の陣屋を中心に町並みが整備されたもので、小城市立歴史資料館には江戸時代の「城下町」のジオラマがあります。

小城町鯖岡小路に向かう道(小城市小城町)

 鯖岡小路に向かう道(小城市小城町)

 中町、上町と北上し、深川家住宅から東に向かう神埼往還を歩きます。千葉城跡を左手に見ながら祗園川を渡ると小城鍋島家三代元武(もとたけ)、六代直員(なおかず)、九代直堯(なおたか)の墓所がある黄檗宗(おうばくしゅう)寺院玉毫寺(ぎょくこうじ)があります。

 さらに、大地町江熊野戸田立石と歩き、嘉瀬川を渡ると駄市川原佐賀市大和町)に到着します。  
 各地で説明を受けながら何とか目的地まで到着しましたが、200年前の景観は思ったよりもよく残っています。
 なお、このルートは、古代官道に重なるとともに「佐賀上道」とも呼ばれる重要な往還で、たくさんの人と物資が行き交っていたようです。
 また、駄市川原は、神埼、小城、筑前、佐賀に向かう街道が交差する場所で、かっては上佐賀の交通の要衝としてにぎわった宿場でした。

 次回は、駄市川原から神埼往還を東に進み、神埼宿(神埼市神埼町)さらに田手宿(吉野ヶ里町)まで歩かれるようです。