古文書講座(中級編)を開催しています(その3)

 こんにちは。

 12月4日(土)、古文書講座(中級編)第3回を行いました。
テキストは引き続き、武藤信邦の自伝「信邦一代大略記」(袋武藤家資料)です。

 冒頭、文久2〜3年(1862〜1863)の国内・佐賀藩内の状況について、講師の伊藤先生が準備された年表を元にした詳しい説明がありました。
 その中でも、以下の3つの事について、佐賀藩内ではマイナスに捉えられているが、再評価が必要であると強調されました。

文久2年(1862)12月4日、鍋島直正が、関白近衛へ長崎警備免除、京都警備免除、京都警備拝命を願ったこと。
文久3年(1863)1月12日、鍋島直正が、幕府へ攘夷交渉をすすめる建言書を提出したこと。
文久3年(1863)2月28日、鍋島直正が帰国し、長崎警備を強化したこと。

 今回は、信邦39歳の文久2年(1862)、6月21日から11月2日までの6ヶ月に満たない期間を読み進めましたが、武藤家には大きな出来事が続きました。

・6月21日、7年前の実兄大庭忠之進に続き実兄高柳伊兵衛(御側頭手元)が亡くなります。伊兵衛の経歴、仕事の内容、を詳しく記載するとともに、「一体篤実ニシテ人和有之、兄弟等之附合至而睦間敷■■人柄」と書いています。信邦たちの兄弟仲がよかったことも伺われます。残された2人の子供のその後について故忠之進同様に附記してます。
・8月6日、妻「にい」が朝食後コレラを発病し、その日の内に亡くなります。また、下女もコレラに罹り死去。娘「さく」もコレラに罹りましたが何とか回復しました。また、家族中が麻疹に罹りました。
亡くなった妻について「貞実ニシテ心懸宜敷、諸人之和を得縁女■有之候得共、一向右様之気風無之稀成性ニ而有之候事」と最大級に褒め称えています。
・9月7日、松尾利兵衛妹と再婚します。
・11月2日、娘「とみ」が17歳で手明鑓藤川広次と結納。持参金6両(当時の米の価格で換算すると現在の30万円程度)でした。

 亡妻をさんざん褒めておきながら、1ヶ月後には再婚していることに首をかしげる女性もおられました。
 次回も、信邦の身辺に次々と起こる出来事を読み進めていきます。
 幕末・維新期だけでなく佐賀の歴史に関心をお持ちの方のご参加をお待ちしています。
 
講座の様子
(写真)講座の様子