塚原嘉一郎氏関係資料の調査を行いました

 こんにちは。

 佐賀県立図書館では、郷土の歴史を解明するうえでかけがえのない古文書等の歴史資料調査を行っていますが、先日、佐賀市内の某家に保管されてきた塚原嘉一郎氏(1878〜1960)に関わる資料を調査させていただきました。これまで大切に保管されてきたご家族の方々、生前にきちんと資料を分類・整理されていた嘉一郎氏に深く感謝するとともに、調査の仲介の労をとっていただきました関係者の方々にお礼を申し上げます。

 調査させていただいた資料の中には、「坂の上の雲」の主人公である秋山好古、真之兄弟からの書簡が数点含まれていました。これは、嘉一郎氏の奥様が好古の長女輿志(ヨシ、よし子)であること、嘉一郎氏と真之とは共に大陸の資源開発に取り組んだこと、さらには、嘉一郎氏との結婚を真之が好古に強く薦めたことによるようです。
 書簡や秋山兄弟に関わるご家族からのお話は、あたかも「坂の上の雲」の後日談を聞くようでした。

 また、東杵島炭坑に関わる資料は、佐賀県の炭坑史解明に大きく寄与するものです。

 さて、塚原嘉一郎氏は鉱業家として知られていますが、その業績を紹介したものは少なく、「佐賀県実業大観」(佐賀新聞社 昭和16年(1941))に掲載された紹介文が唯一まとまったものです。以下、その紹介に導かれながら塚原嘉一郎氏業績の一部を紹介します。



日中露を駆けた鉱業家 塚原嘉一郎氏
明治11年(1878)、佐賀郡新北村(現在の佐賀市諸富町)寺井津に生まれ、慶應義塾を卒業後、三井物産入社。大正4年(1915)、勳六等瑞宝章授与。大正6年(1917)、三井物産を退社。
三井物産を退社した大正6年、中国の鉱業と主要物産開発を目的とした日支組合規約の締結に関わり、広東省興寧鉄山の開発契約を締結。日支組合規約には、日本側から犬塚信太郎、秋山真之、塚原嘉一郎、菊池良一、芳川憲治の5名が、中国側から孫文、張人傑、蒋介石等6名が署名。
大正8年(1919)、長崎県高島炭田香焼島の採鉱区を買収。
大正13年(1924)以降、北樺太のコスチナ炭坑、ポロウィンカ炭坑の経営に関わり、大正14年(1925)、モスクワで開催された利権会議(日ソ利権会議)に日本側代表として参加。
昭和7年(1932)以降、東杵島炭坑(小城郡砥川村、現在の小城市牛津町)の常務取締役として、後宮信太郎、赤司初太郎、田中清、さらには山口慶八、新井琴次郎等と経営、運営にあたった。
昭和14年(1939)、唐津海員養成所(現在の国立唐津海上技術学校)設置に大きな役割を果たす。
戦後も、晩年まで福岡県苅田炭坑、長崎県高島炭坑等に関わり続けた。

晩年の塚原嘉一郎氏
晩年の塚原嘉一郎氏(画像の無断転載を禁止します。)
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