伊能忠敬の測量(その1)

東日本大震災による被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。
 こんにちは。

 来年は、伊能忠敬(いのう ただたか)による肥前東部域(現在の佐賀県域)測量200年に当たります。
 正確には、文化9年(1812)8月〜9月と翌文化10年(1813)9月、約53日で詳細な測量を行いました。忠敬68、69歳の時です。

 教科書でも紹介される忠敬は、49歳で隠居後、50歳のとき江戸に出て、幕府天文方高橋至時(たかはし よしとき)に師事し、暦学・天文を修めます。この勉強中に緯度1度の距離が暦学上の問題となっているのを知り、蝦夷地[北海道]への測量をはじめとして、寛政12年(1800)から文化13年(1816)まで、日本初の実測による全国測量を実施しました。そして忠敬の没後、文政4年(1821)に幕府天文方の手で「大日本沿海輿地(よち)全図」として完成されました。

伊能忠敬については:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%83%BD%E5%BF%A0%E6%95%AC

 現在の佐賀県域の測量は、第8次測量となる九州西部地域の測量の中で伊能本隊と板部隊(文化10年は永井隊)により行われました。

 この測量事業は、幕府の事業として行われていましたので、当時の佐賀九代藩主斉直の年譜にも以下のような記録が残されています。
「(文化九年)九月より十月迄、測量師伊能勘ヶ由(忠敬)殿其外御領内通路」(「御代々御略記」(鍋113-63)『佐賀県近世史料』(佐賀県立図書館刊行)第一編 第十巻p652)
 測量を行う村々には藩から詳しいお觸れがあり、事前に事細かい受入準備をしています。また、測量する地域(村単位)の詳細な概要が準備されていました。佐賀藩内では多久家(親類同格)の役所日記に藩からの先觸(写)、受入準備の内容、伊能に渡した村の概要、案内の報告が残されています。伊能忠敬も詳細な地元の情報を元に測量を行っていました。

 忠敬の測量事業は、当初は個人事業として始められましたが、途中で11代将軍徳川家斉の上覧を受けるなど幕府に認められ、約80%は幕府事業として行われました。

 忠敬が作成した日本地図は、総称して「伊能図」と言われ、「大図」(1/36,000:214枚)、「中図」(1/216,000:8枚)、「小図」(1/432,000:3枚)とその他の図に分類されています。  
このうち我々がイメージする「伊能図」は、実測図である大図で、これを縮小・編集して中図、小図が作られました。
 大図作成のための測量は、方位と距離を野帳に記録しながら沿岸や街道を進行する方法で行われました。このように、忠敬は近代的な日本地図作成の先駆者といえます。
 
伊能忠敬に関する講演会を以下のように開催します
・日時:平成23年9月18日(日)13:30〜15:00(受付13:00〜)
・場所:佐賀県立図書館 会議室
・講師:龍道真一(りゅうどう しんいち)さん(作家)
・演題:「子午線への一万里〜伊能忠敬の夢〜」
*講師龍道真一さんの著作は:
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%97%B4%93%B9%81@%90%5E%88%EA/list.html

*近年、全国で大図全てを展示するイベントが開催されていますが、大図1枚の大きさはほぼ畳1枚ほどあり、日本列島を214枚でカバーする膨大なものです。
 佐賀県立図書館でも佐賀県域の大図(複製物)を所蔵していますが、一昨年イベントで公開しました。

佐賀県立図書館所蔵「伊能大図」(複製物)の公開

 佐賀県立図書館所蔵「伊能大図」(複製物)の公開(平成21年11月)