特別史跡「鍋島直茂陣跡」の現場説明会に関連して

 こんにちは。

 今月3日付けの佐賀新聞、読売新聞をご覧になった方はご存じかと思いますが、国の特別史跡鍋島直茂陣跡」(唐津市鎮西町)の発掘調査現場説明会が明日13日、以下のような日程で行われます。

・期  日:平成23年2月13日(日曜日)
・受付時間:午前10時〜午前11時
・集合場所:玄海エネルギーパーク多目的室(東松浦郡玄海町今村)
*県立名護屋城博物館、名護屋城跡、鍋島直茂陣跡ではありません
[現場説明会については、以下に詳しい案内があります]
http://www.pref.saga.lg.jp/web/kankou/kb-bunka/kb-hakubutu/nagoya/nagoya-gyoji/_51568.html

 鍋島直茂は、佐賀藩藩祖であり、「文禄・慶長の役」(1592〜1598)においては1万2千の兵を率いて参陣し、朝鮮半島での戦いにも参加しました。
 鍋島直茂陣跡は、名護屋城跡の南西、串浦に面した大規模な陣跡です。これまでの調査で、総延長100mを超える高さ2mの石垣を始め、中腹部に設けられた3つの曲輪(くるわ:城を構成する主要な区画)の様子や、複雑に設けられた数多くの虎口(こぐち:入り口)の様子などが明らかにされています。
 北西には、豊臣秀保(大和郡山豊臣秀吉の弟秀長養子)の陣跡、東東には堀秀治(越後福島)の陣跡が位置しています。いずれの陣跡も発掘調査及び環境整備が済んでいます。
 なお、鍋島直茂陣跡の発掘現場の公開は、今回が最後だとのことです。

 ここでは、県立図書館が所蔵する名護屋城跡及び陣跡を描いた絵図と鍋島直茂陣跡のその後について紹介します。

名護屋城跡及び陣跡を描いた絵図
・「名護屋古城之図」(郷土0514)
名護屋城を中心に諸侯の陣が描かれています。鍋島直茂陣は、名護屋城の南方に位置している標高の高い丘陵部分に「鍋島加賀守 高嶽」として描かれています。彩色手書。180㎝×145㎝。
デジタル化していますので館内「くすネット」の絵図閲覧用パソコンで閲覧することができます。プリントアウトも可能です。
・「名護屋陣取図」(郷土0991)
名護屋古城之図」とほぼ同じ内容です。A3サイズにプリントアウトしたものを閲覧することができますし、複写することもできます。
彩色手書。134㎝×110㎝

県立図書館所蔵絵図の複製物については:
http://www.pref.saga.lg.jp/kentosyo/kyoudo/shozou/ezu201005.html
名護屋城跡と陣跡については:
http://www.pref.saga.lg.jp/web/kankou/kb-bunka/kb-hakubutu/nagoya/nagoya-jinato.html

鍋島直茂陣跡のその後
文禄・慶長の役」(1592〜1598)が終わった後に、名護屋城や陣屋の建物が再利用されたという言い伝えがありますが、この鍋島直茂の陣屋の一部を玉林寺(ぎょくりんじ:佐賀市大和町)の客殿として移築したとされています。
 『大和町史』(大和町教育委員会 1975年 p192)では、「名護屋城の一殿を移して玉林寺の客殿としていた」とされていますが、玉林寺に残された資料では「高傳寺殿(直茂)移賜名古屋之陣屋」とあり、名護屋城ではなく直茂陣屋の一部だと思われます。
 残念ながら、元文2年(1737)12月27日夜半出火し、その客殿は焼失してしまいました。

玉林寺については:
http://www.saga-otakara.jp/search/detail.php?id=2115