秋山好古・真之書簡の周辺 その1

 こんにちは。

 佐賀県立図書館にご寄贈いただいた秋山好古(あきやま よしふる/1859〜1930)、秋山真之(あきやま さねゆき/1868〜1918)の書簡についてはマスコミの報道等でご存じの方もいらっしゃると思いますが、その書簡に関わる話をご紹介していきたいと思います。

 今日(12月26日)はNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」第2部の最終回が放送されます。毎週楽しみにしてこられた方が多いと思いますが、その参考になれば幸いです。

 12月17日(金)、資料の寄贈者である塚原嘉一郎氏のご長女が来館されましたので、展示の状況や整理中の資料を見ていただきました。

 見ていただく中で、「(嘉一郎氏は)あまり自分のことを話すようなことはなかったし、本人以外から聞いた話がほとんどで、自慢めいた話ばかりになるけど…。」と遠慮がちに塚原嘉一郎氏についての思い出話をされました。
 以下、その一部をご紹介します。

「小さい頃、寺井津では神童といわれていた。」
「寺井津の実家の隣は海軍の藤原英三郎中将の家だった。」
「藤原中将とは義兄弟だと言っていた。」
「藤原中将を通じて当時地元で大変な資産家であった弥富家と関わりがあったのではないかと思う。」
「(慶應義塾に入る前のことはよく分からないが)慶應義塾では、福沢諭吉先生の散歩のお供をしていたと話していた。」
慶應義塾は、飛び級で早く卒業している。」
「(戦時中は東京にいたが)空襲の時、今回寄贈した資料は防空壕に置いていたので残った。」
「佐賀に昭和20年12月に戻ってきたが、事業のこともあり、また東京に戻るつもりだったようだ。」
「東京から、好古さんの騎馬銅像を持ち帰ったけど、與志さんの妹さんにあげてしまった。」
「書が好きで「楠洲」と号していた。」

 また、幼い頃、祖父にあたる好古さんの家に行かれた時の話もうかがいました。
「7歳の頃、2度行った記憶がある。その頃、どちらの家も(東京の)青山にあって、好古さんの家には大きな虎皮の敷物があった。また、好古さんの長男信好さんの長女の遊び相手をしていた。」

 記憶を辿りながら話していただきましたが、嘉一郎氏の人物像がぼんやりとですが判りかけてきました。
 資料の整理がもう少し進めば、資料の分からないところをゆっくりとお話を伺いながらいろいろと教えていただこうと考えています。
 その時を楽しみにしています。